福井県民歌の制作は、日本がサンフランシスコ平和条約の発効により事実上独立を果した1952(昭和27)年に発案されました。この年、県内では福井復興博覧会も開催されるなど、戦災と震災からの復興と今後の発展を目指し県民の意気を高めようとの機運が高まりました。当時の小幡治和知事の指示により、県の象徴である「県章」、県の歌「県民歌」が定められることとなり、県内各界の代表者14人からなる制定委員会が設けられました。このうち「県民歌」はその構想を広く県民から募集。それを基に日本を代表する詩人、三好達治氏に作詞を、当時文部省(現在の文部科学省)の職員で作曲家・音楽評論家でもあった諸井三郎氏に曲づくりを依頼しました。三好氏は昭和19年から5年間、三国町に住み、数多くの詩や評論を残していました。自ら「わが心のふるさと」と呼ぶまでに三国を愛していた三好氏は県からの申し出を快諾。それから2年あまり後、1954(昭和29)年に五番からなる詞が完成し、5月1日、両氏も参加しての発表会が大々的に催されたのです。
福井県民歌の特徴は、格調高い日本語と荘厳な調べです。美しい日本語が廃れつつある今、あらためて歌詞の一言一言を味わって口ずさんでみてください。言葉の持つ輝きに対する驚きと同時に郷土福井を復興・発展させようと頑張ってきた先人たちの熱き思いを感じていただけることでしょう。福井県民歌は県民の財産であり、今後も機会を捉えて普及に努めていく方針です。
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